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東京地方裁判所八王子支部 昭和46年(ワ)566号 判決 1975年3月14日

原告

堀江勝雄

原告

堀江サヨ子

右両名訴訟代理人

仁藤峻一

<外二名>

被告

日本国有鉄道

右代表者総裁

藤井松太郎

右訴訟代理人

岡田義雄

<外二名>

主文

被告は原告らに対し、それぞれ七八〇万二九〇二円およびうち金七一〇万二九〇二円に対する昭和四八年九月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担としその一を原告らの負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者が求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ一三七三万五五三〇円とうち金一二四八万六八四五円に対する昭和四八年九月二九日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張<以下事実欄省略>

理由

一原告堀江勝雄と原告堀江サヨ子は夫婦であり、道則は原告らの長男、節雄は原告らの次男であること、昭和四五年八月二九日午前一〇時二五分頃東京都立川市曙町一丁目二二番地付近の国鉄青梅線旧青梅街道踏切(本件踏切)において、道則(当時一一才)と節雄(当時九才)が自転車に乗つて横断していた際、被告の被傭者である船津邦夫の運転する立川発青梅行四両編成旅客電車(本件電車)が右道則らの自転車に衝突したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右衝突により、節雄は右頭蓋骨陥没骨折等の傷害を受け、同日午前一一時脳挫傷のため死亡し、道則は全身に負傷した結果右同日午後四時四五分外傷性ショックにより死亡したことが認められる。

次に本件事故の発生状況についてみるに、本件電車は、本件事故直前時速約五〇キロメートルの速度で下り方向に進行していたこと、および船津運転士は本件踏切の手前約二〇メートルの地点で本件踏切を横断中の道則、節雄を発見し、ただちに非常警笛を吹鳴するとともに非常制動の措置をとつたがまにあわず衝突するに至つたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、道則らは本件事故直前、道則が自転車の運転台に、節雄がその荷台に乗つて、いわゆる自転車の二人乗りをして本件踏切を自転車に乗つたまま横断していたことが認められる。

二原告らは、本件事故の原因として(一)船津運転士の過失、(二)本件踏切の保安設備欠如による瑕疵を主張する。しかして船津運転士の過失の主張も本件踏切の危険性を前提としてなされているので、船津運転士の過失の有無はしばらく措き、まず本件踏切に原告ら主張のような瑕疵もしくは危険性があつたか否かについてみることとする。

<証拠>によれば、以下の事実を認めることができる。すなわち、本件踏切は本件事故(本件踏切は後記のように本件事故直後廃止され現存しない。したがつて以下本件踏切という場合はとくにことわらない限り本件事故当時の本件踏切をいう)、被告の所有管理にかかる踏切道であり、青梅線立川駅西立川駅間の立川駅より西立川方向約六四九メートルの地点にあつた。右地点で青梅線は青梅街道と都道一五三号線を結ぶ市道と交差していた。本件踏切は幅員約1.9メートル、延長約10.2メートルであり、踏切遮断機、踏切警報機等の設置のない無人踏切であつて、原動機付自転車以下の車両を除く車両の通行が禁止されていた。青梅線は本件踏切付近で複線であり、通過列車は一日二八一本、列車の通過最高速度は時速五五キロメートルである。なお、本件電車のような列車が時速五〇キロメートルの速度で非常制動をかけた場合、列車は約一〇〇メートル先でなければ停車することができない。本件踏切は、昭和三八〜九年頃に、本件踏切の西方(西立川方向)約一四六メートルの地点に新青梅街道踏切が新設されるまでは付近の主要な踏切道であり、幅員も広く自動車等も通行でき、警手が置かれて遮断機も設置されていたが、新青梅街道踏切が設置されるのと同時に幅員も狭められ車両の通行も規制され、遮断機も撤去されて、以後本件事故当時までそのままの状態になつていた。しかし幅員が狭められた後も本件踏切は立川市曙町一丁目や同市富士見町の青梅線の南側に住む住民の、同線北側にある立川駅北口や同駅北口の商店街(本件踏切の北側は、いわゆる立川銀座といわれる繁華な商店街の西のはずれにあたる)へ通じる踏切としてよく利用され、また本件踏切の南側にある立川公共職業安定所へ行く人々にも多く利用されていた。本件踏切の交通量は昭和四四年六月頃被告が調査したときには換算交通量(歩行者を一とし、自転車を二、軽車両を四、原動機付自転車を八と換算する)で一日に一一九一であつた。本件踏切付近では青梅線はほぼ直線に走つているため踏切中心付近では左右の見通しは良い(列車から本件踏切を見た場合も同じ)が、本件踏切の南側入口付近からは左方(西立川方向)は良く見通せるものの、右方(立川方向)は、本件踏切の東側の軌道敷地外に植えてあるヒマラヤ杉や銀杏などの樹木の枝が軌道方向にはりだしていたり、また軌道敷地内の軌道端の土手の雑草が高くおい茂つたりしていて見通しを悪くしていたため、見通し距離は約五〇メートル(右方の見通し距離が約五〇メートルであることは当事者間に争いがない)であつた。また下り線の列車の運転士から見た場合、本件踏切の約二〇メートル手前まで接近しても本件踏切の南側入口にある車禁杭(車両の進入を妨げるための杭)を見ることができない状態であつた。本件踏切では、狭くなつてからでも本件事故以前少なくとも昭和四〇年頃と昭和四四年の二回、人身事故が発生しており、事故には至らなかつたが、通行人が列車の接近に気付かずに本件踏切に入り列車が急制動をかけて停車したりあわや接触という事態はかなりしばしば起つていた。このため列車運転士からは本件踏切付近はよく人がとび出すところとして注意され、また付近の住民からも本件踏切は見通しが悪いことで危険視されていた。昭和四四年の事故が起つた際本件踏切は一時閉鎖されたことがあつたが、そのときは本件踏切廃止に対する付近住民の強い反対があつたため再開された。しかし、本件事故直後の昭和四五年九月、被告は、本件踏切は保安設備がなく危険ということで廃止することを住民側に申し入れ、住民側も本件踏切による便利さも人命にはかえられないとしてやむなくこれに同意し、本件踏切は廃止された。<証拠判断省略>

ところで、列車運行のための専用軌道と道路との交差するところに設けられる踏切道は、本来列車運行の確保と道路交通の安全とを調整するために存するものであるから、必要な保安のための施設が設けられてはじめて踏切道の機能を果たすことができるものというべく、したがつて土地の工作物たる踏切道の軌道施設は保安設備と併せ一体としてこれを考察すべきであり、もしあるべき保安設備を欠く場合には土地の工作物たる軌道施設の設置に瑕疵があるものとして、民法第七一七条所定の帰責原因となるものというべきであり、踏切道における軌道施設に保安設備を欠くことをもつて工作物としての軌道施設の設置に瑕疵があるというべきか否かは、当該踏切道における見通しの良否、交通量、列車回数等の具体的状況を基礎として、前示のような踏切道設置の趣旨を充たすに足りる状況にあるかどうかという観点から定められなければならない。そして保安設備を欠くことによりその踏切道における列車運行の確保と道路交通の安全との調整が全うされず、列車と横断しようとする人車との接触による事故を生ずる危険が少なくない状況にあるとすれば踏切道における軌道施設として本来具えるべき設備を欠き踏切道としての機能が果されていないものというべきであるから、かかる軌道設備には設置上の瑕疵があるものといわなければならない(昭和四六年四月二三日最高裁判所第二小法廷判決民集第二五巻第三号三五一頁参照)。

これによつて本件をみるに、前記認定によれば、本件踏切を南側から横断しようとする者から下り列車を見通しうる距離は約五〇メートルであり、他方下り列車の運転士からは踏切手前二〇メートルに接近しても本件踏切の南側入口の状況を確認できず、かつ列車が本件踏切を所定通過速度で進行した場合非常制動の措置をとつても一〇〇メートル以上先でなければ停車できない、すなわち踏切入口で見通しうる最遠距離の通行列車の確認をした通行人が踏切内に進入した場合に列車運転士がこれを発見して非常制動の措置をとつても列車は本件踏切を五〇メートル以上通過した地点でなければ停車できないというのであるから、通行人が踏切南側入口で安全確認をしただけで踏切内に進入すると列車と横断中の通行人との接触の危険はきわめて大きいといわざるをえない。現に本件踏切では昭和四〇年ごろから本件事故のあつた昭和四五年八月までの間に本件事故を含めて三件もの人身事故が発生しているばかりでなく、列車の接近に気付かずに通行人が踏切内に入つて列車が急制動をかけることはしばしば起つており、このため列車運転士からは、よく人がとび出すところとして注意され、付近住民からも見通しの悪さの故に危険視されてきており、本件事故直後、本件踏切は、危険な踏切であるとの被告と付近住民の共通した認識のもとに廃止されたことなどを考慮すると、少なくとも本件踏切は踏切警報機を設置して見通しの悪さを補うのでなければ安全な踏切道とはいえない。そして前記認定の諸事実、とりわけ本件踏切の所在場所、交通量、列車通過量、跨線数などを併せ考えると、本件踏切は少くとも踏切警報機を設置するのでなければ踏切道としての本来の機能を全うしうる状況にあつたものとはいえず、本件踏切に踏切警報機が設置されていなかつたことは前記のとおりであるから、結局本件踏切にはあるべき保安設備を欠いた設置上の瑕疵があつたものといわざるをえない。被告は、本件踏切は、踏切警報機等の保安設備の必要の有無の基準を定めた踏切道の保安設備の整備に関する省令(昭和三六年運輸省令第六四号)の基準に達せず、警報機等の保安設備を欠いても瑕疵にあたらないと主張するが、右省令は、踏切道改良促進法(昭和三六年法律第一九五号)に基づき、踏切道をより安全にすべく整備改良していくための行政指導監督上の一応の標準を示したものにすぎず、右基準によれば本件踏切には保安設備を要しないとの一事をもつて踏切道における軌道施設に瑕疵がなかつたものということはできない(仮に右基準によつたとしても本件踏切は同省令第二条第三号「複線以上の区間にあるもので踏切警報機又は踏切遮断機の設置によつて事故の防止に効果があると認められるもの」に該当するものと思われる)。次に被告は、本件事故の原因は、道則らが踏切手前で一時停止および左右の安全確認をしないまま自転車の二人乗りをして本件踏切内に入つたことにあり、本件踏切の保安設備欠如とは何ら因果関係がないと主張する。道則らが自転車に二人乗りをしたまま踏切を横断していたことは前記認定のとおりであるが、<証拠>によれば、船津運転士が踏切手前約二〇メートルの地点で道則らを発見したときは道則らの自転車の前輪は既に下り線の軌道内に入つており、列車は右自転車の後輪付近に衝突したことが認められ、右によれば本件電車が約二〇メートルを走る間に自転車はわずかな距離(軌道の幅は1.067メートル)しか走つていないことになり、自転車の速度はあまり出ていなかつたと考えられる。このことからすれば、道則らが自転車に乗つたまま横断していたことをもつて、道則らが踏切手前で一時停止ならびに左右の安全確認をしなかつたと直ちに断ずることはできず、他に道則らが一時停止、左右の安全確認をしないで本件踏切に進入したとの被告主張の事実を認めるに足る証拠はない。むしろ、通常の経験に照らせば、何らの左右の安全確認の方法をとらないまま、無人でかつ警報機等の保安設備のない踏切に進入するということはほとんどありえず、本件の場合も道則らは何らかの方法で(それが本件の場合に十分な方法であつたか否かはともかくとして)左右の安全を確認したものの、前記の如き見通しの悪さのために本件電車の接近に気付かず、本件踏切に進入し本件事故に遭遇したものと考えるのが相当ある。したがつて、本件事故と前記のような本件踏切の瑕疵とは因果関係があるものというべきであり、道則らの過失の有無はともかくとして、その余について判断するまでもなく、被告は本件事故による損害につき責任を免かれないものというべきである。

三次に道則らの過失について判断する。本件事故直前道則が自転車の荷台に節雄を乗せて自転車に乗つたまま踏切を横断していたことは前記一で認定したとおりであり、<証拠>によれば、道則は衝突直前自転車の進行方向のみを見て、節雄と話を交わしながら自転車を運転し、本件電車が非常警笛を吹鳴してはじめて本件電車の接近に気付き驚いて自転車を停めようとしているうちに本件電車に衝突されたことが認められる。ところで本件踏切は南側入口では右方(立川方向)の見通しが悪いが踏切内に入れば右方の見通しも良くなることは前記二のとおりであるから、自転車を運転していた道則としては、本件踏切入口で自転車をおりて右方を見通せる位置まで注意しながら進んで右方の安全を確認して踏切道を横断すべきであつたのに、これをしなかつたのは明らかであり、また本件踏切のような狭い板敷の踏切道を渡る場合に二つ年下の弟を荷台に乗せたまま自転車を運転すれば、自転車の操作のみに必要以上の注意が払われ、左右の安全確認等が疎かになることは十分予想されるばかりでなく、緊急な場合にすばやく自転車を操作して危険を回避するにも重大な支障があるのであるから、道則らとしては本件踏切を渡る場合に自転車の二人乗りを避けるべきであつたのに(しかも東京都道路交通規則で自転車の二人乗りは禁じられている)、これを怠つたのであつて、右道則らの過失も本件事故の原因として重大であつて無視することはできず、本件踏切の瑕疵の態様等を考慮すると過失相殺として道則、節雄の各逸失利益から四割を減額するのが相当である。

四そこで次に本件事故による損害額につき判断する。

1  道則、節雄の逸失利益

本件事故当時道則は満一一才、節雄は満九才の男子であつたことは当事者間に争いがないから、道則、節雄は本件事故にあわなければ満二〇才から満六〇才まで四〇年間稼働してこの間全男子労働者の平均収入程度の収入は得られたものと推認するのが相当である。ところで昭和四五年度の賃金構造基本統計調査によると、全産業全男子労働者(学歴計)の月額平均賃金は原告らの主張通り、満二〇才から二四才までは四万七四〇〇円、二五才から二九才までは六万二五〇〇円、三〇才から三四才までは七万四三〇〇円、三五才から三九才までは八万〇八〇〇円、四〇才から四九才までは八万七二〇〇円、五〇才から五九才までは八万三五〇〇円であることが認められる。また右収入のうち生活費等に要する費用は五割とするのが相当である。以上をもとにし、民法所定の年五分の割合による中間利息の控除について複式(年毎)ホフマン式計算法を使用して、死亡時における道則、節雄の各逸失利益を算定すると、別紙計算表(二)のとおり、道則につき七四八万二四九〇円、節雄につき七一七万一八五〇円となる(原告ら主張の計算方法は採用しない)。しかし前記三のとおり過失相殺としてその四割を減額するのが相当であるから、減額後の逸失利益は道則につき四四八万九四九四円、節雄につき四三〇万三一一〇円となる。さらに、道則らが稼働しうるようになるまで養育費として少くとも一ケ月一万円は要するものと考えられるが(昭和四三年全国全世帯平均家計調査報告によると一人当りの一ケ月平均消費支出額は一万五六二八円)、これも公平の原理より、道則らの各逸失利益から控除すべきである。右養育費について民法所定の年五分の割合により複式ホフマン式計算法によつて中間利息を控除し死亡時に一括して支払うものとすると、別紙計算法(三)のとおり道則につき七二万七八〇〇円、節雄につき八五万九〇〇〇円となる。よつて被告が賠償すべき逸失利益額は、道則につき、三七六万一六九四円、節雄につき三四四万四一一〇円となる。

原告らが道則、節雄の両親であることは当事者間に争いがないから、原告らは道則、節雄の各逸失利益の損害賠償請求権を各二分の一宛相続したものと認めることができる。

2  原告らの慰藉料

原告堀江勝雄、同堀江サヨ子の各本人尋問の結果によれば、道則は学業成績は普通以上、節雄は普通程度であつてともに健康な男児であり、原告らは夫婦とも働きに出て道則、節雄(原告らには、事故当時他に子供はなかつた)の成長を楽しみに生活していたことが認められ、本件事故により一時に二人の愛児を失なつた原告らの精神的苦痛が甚大であつたことは容易に推認できるところであり、本件にあらわれた諸般の事情(道則らの前記過失を含む)を考慮すると、原告らの蒙つた精神的苦痛を慰藉するには各三五〇万円をもつて相当とする。

3  弁護士費用

原告らが本訴掲起のために本件を弁護士仁藤峻一らに委任したことは訴訟上明らかであり、本件にあらわれた諸般の事情、とくに事件の難易、訴額等を考慮すると本件事故と相当因果関係にある損害としての弁護士費用として原告ら各七〇万円が相当である。

五以上によれば、原告らの本訴請求は、被告に対し各七八〇万二九〇二円と内弁護士費用分を除いた七一〇万二九〇二円に対する本件損害の発生の後である昭和四八年九月二九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるので認容し、その余の請求については失当であるからこれを棄却し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条を適用し、仮執行宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(西岡徳寿 新田誠志 大橋弘)

<計算表(一)(二)(三)省略>

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